アミティヴィルの恐怖|実際の殺人事件と28日間の心霊現象、その証言を検証する

ニューヨーク州ロングアイランドの住宅に、ひとつの恐ろしい物語が残されている。引っ越してきた家族は奇怪な現象に悩まされ、わずか28日で家を出た。その原因は、以前その家で起きた凄惨な事件にあるという。

『アミティヴィルの恐怖』。1977年に刊行された書籍とその映画化によって、世界中に知られるようになった幽霊屋敷の物語だ。しかし、そこで本当に起きた事件と、後から語られた超常現象は、同じ確かさで扱えるものではない。

六人が犠牲になった殺人事件、次に住んだ一家の証言、弁護士との対立、書籍や映画による拡散。記録を比べながら、悲劇がどのように現代の怪談へ変わったのかを調べていこう。

目次

1974年11月13日、住宅で起きた事件

1974年11月13日、ニューヨーク州アミティヴィルのオーシャン・アベニューにある住宅で、デフェオ一家の六人が殺害された。殺されたのは両親と四人の子どもたちである。

事件を起こしたのは長男のロナルド・デフェオ・ジュニアだった。1975年の裁判で殺人6件について有罪となり、それぞれ懲役25年から終身刑までの刑を6件連続して科す判決を受けた。後にさまざまな説明を語ったが、超自然的な存在が犯行を引き起こしたと裁判で認定されたわけではない。

この六人の死は、怪談の演出ではない。犠牲者のいる実際の殺人事件であり、後年の幽霊屋敷の物語とは分けて理解しなければならない。

1975年12月、新しい家族が入居する

事件の翌年、ジョージ・ラッツと妻キャシー、三人の子どもたちがこの家に移り住んだ。住宅は以前の事件を理由に人々の関心を集めていたが、一家は購入を決め、1975年12月に暮らし始めた。

しかし、一家が滞在したのは28日間だった。1976年1月、一家は家を離れ、その理由として不可解な現象を経験したと語った。ここから、殺人事件の現場だった家は「幽霊屋敷」として知られるようになる。

家を買ったこと、短期間で退去したこと、本人たちが恐怖を訴えたことは、当時の記録で確認できる。一方、訴えられた現象が本当に超自然的な原因によるものだったかは別の問いである。

ラッツ一家が語った怪異とは

ラッツ一家が語った出来事には、室内に不気味な臭いが漂う、説明のつかない物音がする、緑色の液体が現れる、見えない存在に悩まされるなどの内容があった。後に出版された本では、浮遊や異様な姿の存在も描かれている。

こうした内容は、一家の証言と書籍に記された主張である。第三者が独立に記録した現象の一覧ではない。どの出来事が実際に起こり、どう解釈されたのかを調べるには、当事者の語りと、外部から確認できる証拠を分ける必要がある。

さらに同じ家族の間でも、後年の回想や受け止め方には違いが見られた。怖かったと感じること自体を否定する必要はないが、恐怖を感じたことが超自然現象を証明するわけではない。

クラブ
家族が怖い目に遭ったと話していても、幽霊がいたと確認されたわけではないんだね。
ハート
そうなの。経験したという証言と、その原因は別々に確かめたいね。

1977年の書籍が『実話』を広めた

1977年、作家ジェイ・アンソンによる『The Amityville Horror』が出版された。副題や宣伝では、家族が体験した本当の出来事であることが強調された。書籍は広く読まれ、1979年には映画化されている。

ここで注意したいのは、書籍の帯や宣伝で「実話」とうたわれたことと、そこに描かれた怪異が事実と立証されたことは異なるという点である。出版の成功は読者の関心の大きさを示すが、超自然現象の証拠にはならない。

1978年の『Skeptical Inquirer』には、ロバート・L・モリスによる書評が掲載された。

書評では、同書が厳密な事実記録として読まれることへの疑問が示され、誇張や不整合の問題が指摘されている。これは本の刊行直後から、その信頼性が議論されていたことを示す資料である。

映画はさらに強烈な映像表現を加えた。映像作品の怪奇現象や物語上の演出を、そのまま1975年の住宅で起きた出来事の記録と取り違えるべきではない。

弁護士の反論と対立する証言

1979年、デフェオ事件の弁護に関わったウィリアム・ウェバーは、怪談の筋立てをラッツ一家とともに考えたと語った。これは物語の信頼性に疑問を投げかける証言だった。

一方、ラッツ一家は体験が本当だったと主張し続けた。ウェバーも出版計画に関与した人物であり、発言の背景は吟味する必要がある。主張が対立する場合、独立した証拠を探すことが欠かせない。

クラブ
意見が対立していたら、何を信じればいいのかな?
ハート
そうなの。誰が語ったかだけで決めず、第三者が確認できる資料も探したいね。

1979年の民事訴訟で何が判断されたのか

幽霊屋敷の話は、出版をめぐる法律上の対立にも発展した。ラッツ夫妻は1977年、記事を書いたポール・ホフマンや弁護士ウェバーらを相手取って訴訟を起こした。関係者間では、体験談をどのように書籍化し、収益を配分するかについても意見が対立していた。

SPRのPsi Encyclopediaによると、1979年9月に訴えが退けられた際、裁判官は書籍の大部分がウェバーの提案に依拠したフィクションに見える、という趣旨の見解を示した。これは作品の信頼性に関わる重要な指摘だ。

ただし、民事訴訟で示された見解を、個々の超常現象の有無を科学的に決着させた判定と取り違えるべきではない。ここでも、裁判の争点と怪異の真偽は分けて理解する必要がある。

残された証言をどう読むか

懐疑的な研究者リック・モランとピーター・ジョーダンは1978年、雪に残った足跡の話と当時の気象記録を照合した。彼らの調査では、足跡があったとされる時期に積雪が確認できず、この描写には問題があるとされた。

調査者ジョー・ニッケルは2015年、後の所有者バーバラ・クロマーティへの聞き取りにも触れている。クロマーティは怪異を経験しておらず、激しく壊れたとされる建具にも、塗装の乱れがないと話したという。

その後の住人と、観光地になった住宅

ラッツ一家が去った後にも、家には別の所有者が住んだ。後の住人の中には、同じような怪異を経験していないと語った人がいる。怪異が起きたとする報告が一つの時期に集中していた点は、検証上重要である。

ただし、後の住人が何も体験しなかったとしても、それだけでラッツ一家の内面の経験まで否定できるわけではない。確かめられるのは、同じ現象が繰り返し確認されたわけではない、という範囲だ。

書籍と映画の人気により、家は長く好奇の目にさらされた。私的な住宅が、観光の対象となってしまったのである。実際の事件で命を落とした人々と、後にそこへ暮らした人々の生活を考えるなら、現在の住民を探したり、無断で訪問したりすることは慎むべきだろう。

実話と怪談が重なった場所

アミティヴィルには1974年に一家六人が殺されたという事実がある。翌年、新たな住人が短期間で退去し、怪異を訴えたことも記録されている。

しかし超常現象が起きた原因は確定していない。家族の証言、弁護士の反論、研究者の調査はそれぞれ性質の異なる記録である。

1977年の書籍と映画によって、実際の事件現場は世界的な幽霊屋敷の象徴となった。事件の犠牲者を忘れず、確認された事実と後世の物語を区別して読むことが重要である。

クラブ
記録があるのは、殺人事件と家族が怪異を訴えたことなんだね。
ハート
そうなの。体験の原因まで同じように確定したわけではないんだよ。
クラブ
実際に被害を受けた人たちのことも忘れたくないね。
ハート
うん。実際の事件と怪談を混ぜないことも、亡くなった人たちを大切に考える一歩だと思うの。

参考資料

[1] HISTORY「The Amityville murders」

[2] Society for Psychical Research・Psi Encyclopedia「Amityville Hoax」

[3] Skeptical Inquirer「Poltergeist at Amityville?」

[4] ABC Science「Amityville authors’ haunt a hoax」

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この記録の編纂者

Chronicle Reportの管理人、Jです。
古い怪談や奇妙な噂が、いつ、どこから語られ始めたのか気になって、資料をめくっています。
ここは、その調べものを収める書庫。
分かったことも、まだ分からないことも、4人の案内人と一緒に記録していきます。

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