ジャック・オー・ランタン|カボチャになる前の怪異とアイルランドの伝承

ハロウィンの夜、カボチャに顔を彫り、中に灯りをともす。ジャック・オー・ランタンは祭りの象徴だ。けれども、その原型がカボチャではなく、アイルランドのカブだったことをご存じだろうか。

アイルランド国立博物館には、20世紀初頭の風習を伝える「幽霊カブ」の資料が残る。さらに悪魔をだました男の物語や、湿地の鬼火を指す名前も重なっている。物と伝承を分けて、その歴史を追ってみよう。

目次

1943年の寄贈記録|博物館に残る幽霊カブ

アイルランド国立博物館の「Ghost turnip」は、資料番号F1943.350として登録されている。1943年、ドニゴール県フィンタウン近郊で教えていた教師Rois Ní Braonáinから、カブのランタンが博物館へ寄贈された。教師は、1900年ごろにはこの形式のランタンが地元でいつも作られていたと証言している。つまり1943年は博物館が資料を受け入れた年で、風習が始まった年ではない。

現在展示される顔を彫った品は、博物館の画家Eileen Barnesが制作・彩色した石膏模型である。寄贈記録が伝える当時のランタンと、いま鑑賞できる模型は同じ物体ではない。『1900年に彫られたカブが現存する』という意味ではないことに注意したい。

ダイヤ
えっ、昔はカボチャじゃなくてカブに顔を彫っていたの?
クラブ
ええ。寄贈された年と、当時の風習を伝える証言を区別して読むことが大切ですね。

カブのランタンの使い道

アイルランド国立博物館によれば、10月31日の夜、カブをくり抜いてろうそくを入れ、人を驚かせるために使った。別の地域では壁や門に置いたり、持ち歩いたりする例もあった。魔除けとして説明されることもあるが、いたずらや遊びという役割も忘れてはいけない。

カブ以外の根菜を用いることもあった。古いハロウィンをすべて同じ材料、同じ目的の風習として語るのは適切ではない。地域と年代によって違いがあるからだ。

ゴールウェイ市立博物館の説明では、顔を彫ったカブは塀や門の上に置かれ、墓地で灯されたり、木から吊るされたりもした。灯りは暗い道で目立つだけでなく、通りがかった人を驚かせる仕掛けにもなった。現在の家庭用装飾と違い、地域の人々が夜に体験する遊びの一部でもあったことが分かる。

悪魔をだましたジャックの伝承

ゴールウェイ市立博物館は、酒と賭け事を好む鍛冶屋ジャックの話を紹介している。その版では、ジャックは願いをかなえる力を与えられたものの、天国へ入るためには使わず、槌や椅子、リンゴの木に仕掛けを施した。魂を取りに来た悪魔をそれらに捕らえ、最後には死後に自分を地獄へ連れて行かないと約束させた。

やがて死んだジャックは、生前の行いのため天国に入れず、悪魔との約束のため地獄にも入れなかった。悪魔をだまして得た安全は、死後の行き場を失う皮肉な結末につながったのである。

暗闇をさまようジャックが灯りを求めると、悪魔は燃える炭を与えた。ジャックはそれをくり抜いたカブに入れ、永遠に夜道を歩くことになったという。これが「ランタンのジャック」の物語だ。

ただし、この筋書きだけが唯一の原話ではない。悪魔を硬貨に変えて十字架で封じる話など、細部の異なる語りも知られる。槌・椅子・リンゴの木を使う博物館紹介の版と、別の版を一つの原話としてつなぎ合わせないことが重要だ。

ダイヤ
悪魔をだませたのに、天国にも地獄にも行けないなんて皮肉だね。
クラブ
ええ。その灯りを持ってさまようジャックの物語が、ランタンの由来として語られています。

名前はもともと鬼火を指していた?

ジャック・オー・ランタンという呼び名は、湿地などでちらつく不思議な光、ウィル・オー・ザ・ウィスプを指すこともあった。ゴールウェイ市立博物館は、こうした怪火が死者の魂や、道に迷わせる存在と結びつけられたと説明している。

英語で「ランタンを持つジャック」を意味する言い方は、17世紀の文献に夜の灯りや怪火の呼び名として見える。一方、くり抜いた野菜に灯を入れる習慣が、同じ時期に今と同じ形で成立していたとは確認できない。怪火の名前、悪魔をだました男の物語、カブを彫る風習は、成立時期を分けて考える必要がある。

サウィン祭とハロウィンの夜

アイルランドでは11月1日のサウィンが季節の節目とされ、その前夜に行事が行われた。アイルランド国立博物館は、死者を思い出すこと、家族を守ること、仮装、占い、いたずらなどを伝統的なハロウィンの要素として紹介している。

電灯のない農村の夜は暗く、窓辺のろうそくやカブのランタンは強い印象を与えただろう。ただし、古代ケルト人が現代と同じ顔のランタンを彫っていたと確定できるわけではない。古代の祭礼と近代の民俗資料の間には長い時間がある。

同博物館は、家の敷居や家畜を守るための祈り、仮装して近所を訪ねる遊び、リンゴを使う占い、いたずらなども紹介している。ランタンだけが独立して生まれたのではなく、秋の終わりと冬の始まりを迎える多様な習俗の中に置かれていた。死者を思う厳かな意味と、人を驚かせる娯楽の面とが、同じ夜に共存していたのである。

ダイヤ
ハロウィンの灯りって、魔除けのためだけに作られていたのかな?
クラブ
魔除けという説明もありますが、人を驚かせる遊びの道具でもありました。目的を一つに決めないほうが資料に忠実ですね。

カブからカボチャへの変化

北米では大きなカボチャが身近にあり、くり抜きやすかったため、カブに代わってランタンの材料になったと説明される。アイルランド国立博物館も、カボチャのランタンをアメリカで発展した形として紹介している。この変化は、カブの風習がそのまま失われたという意味ではない。もとの風習では根菜の内部を削り取ってろうそくを置き、顔を彫ることで暗闇に浮かぶ表情を作った。北米でも灯りをともす仕組みと、人を驚かせる顔の表現が受け継がれた。一方、材料を大きなカボチャに替えることで、より大きな顔や複雑な模様を彫ることもできるようになった。

『Irish Times』は、1886年のカナダの新聞に、ハロウィンでカボチャをくり抜き、ろうそくを入れた記述があると紹介する。ただし、本記事ではその新聞の原紙を確認していないため、これは後年の紹介を通じて知られる例として扱う。少なくとも19世紀には北米でカボチャのランタンが使われていたが、1886年を発祥年とみなすことはできない。

ダイヤ
アメリカでカボチャに変わったのに、怖い顔の灯りという形は残ったんだね!
クラブ
そうですね。移住した人々が習慣を伝え、現地で手に入る材料へ変えていったと考えられます。

まとめ|カボチャの顔の奥にある歴史

ジャック・オー・ランタンの原型には、アイルランドでカブを彫る風習がある。1943年の寄贈記録と1900年ごろの習慣を伝える証言は、その具体的な姿を示す貴重な資料だ。ただし、その収蔵品から分かるのは近代の風習であり、古代の人々が同じランタンを使っていたことではない。

一方、天国にも地獄にも入れないジャックの物語、湿地の怪火を指す名前、サウィンの夜の習慣は、それぞれ異なる歴史を持つ。北米で材料がカボチャへ変わった後も、こうした意味が重なりながら受け継がれた。

カボチャの笑う顔は、単なる飾りとして広まっただけではない。暗闇を照らす道具、通行人を驚かせる遊び、死者や怪火についての物語が、海を越えて新しい素材と結びついた姿でもある。今も残る不気味な表情の奥には、物を作り、夜を祝い、恐れを語ってきた人々の歴史が見えてくる。

参考資料

[1] アイルランド国立博物館「Ghost turnip」資料F1943.350

[2] アイルランド国立博物館「Ghost turnips」(2023年)

[3] ゴールウェイ市立博物館「Turnip Lantern Tradition」

[4] ダブリン城「Halloween in Old Ireland」

[5] Smithsonian Magazine「When People Carved Turnips Instead of Pumpkins for Halloween」

[6] The Irish Times「The story of Jack-o’-lantern」

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この記録の編纂者

Chronicle Reportの管理人、Jです。
古い怪談や奇妙な噂が、いつ、どこから語られ始めたのか気になって、資料をめくっています。
ここは、その調べものを収める書庫。
分かったことも、まだ分からないことも、4人の案内人と一緒に記録していきます。

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