1900年12月26日、スコットランド西方の海に浮かぶフラナン諸島へ、一隻の補給船が近づいていた。
目的地は、アイリーン・モア島に建つ灯台。勤務を交代する灯台守を送り届けるための航海だった。
しかし、船が汽笛を鳴らし、合図を送っても、灯台から応答はなかった。
交代要員のジョゼフ・ムーアが上陸し、建物の中を確かめる。ランプは手入れされ、室内も片づいていた。いつもどおりの勤務が続いていたように見えた。
それなのに、そこにいるはずの3人の灯台守は、どこにもいなかった。
灯台に残されていた勤務記録と、島の西側で発見された設備の損傷。これらの手掛かりから、当局は3人が大波にさらわれた可能性を考えた。
しかし、3人が灯台を離れた理由や、失踪に至るまでの詳しい経緯は分かっていない。
当時の調査報告や公的記録をもとに、フラナン諸島灯台で起きた出来事をたどっていく。
フラナン諸島灯台で何が起きたのか

撮影:Marc Calhoun/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0
フラナン諸島は、スコットランドのルイス島の西方に浮かぶ島々である。灯台が建つのは、その中で最大のアイリーン・モア島。灯台は技師デイヴィッド・アラン・スティーヴンソンの設計によって建設され、1899年12月に運用を開始した。
失踪したのは主任灯台守ジェームズ・デュカット、助手灯台守トマス・マーシャル、臨時灯台守ドナルド・マッカーサー。マッカーサーは病気で休んでいたウィリアム・ロスの代わりに勤務していた。もう1人の助手ジョゼフ・ムーアはルイス島側で待機していた。
ハート


無人の灯台に残されていたもの
12月26日、補給船ヘスペラス号が島に到着した。船長ジェームズ・ハーヴィーの報告には、汽笛を鳴らし、ロケットで合図を送っても返事がなかったとある。交代要員のムーアが上陸して灯台へ向かったが、建物は無人だった。
ランプやレンズ、機械は手入れされ、厨房も片づいていた。ただ、デュカットとマーシャルの海用の長靴や防水衣類は見当たらず、マッカーサーの外套だけが建物内に残されていた。3人が外へ出たときの服装を考えるうえで、気になる違いだった。ムーアらは島に残り、灯台の運用を引き継いだ。
3人が最後に生存していたのはいつか
この事件は「日誌が12月15日に突然途絶えた」と紹介されることがある。しかし、正式な日誌に最後に記されていたのは13日分だった。14日と15日については、別の形で勤務の記録が残っている。
観測結果を一時的に書き留める石板には、14日の事項と15日午前9時の気象観測が記されていた。灯火の消灯や清掃の記録もあり、少なくとも15日朝までは通常の勤務が続いていたとみられる。灯台当局は、3人が姿を消したのは15日午後だった可能性が高いと推定した。






なぜ失踪の発覚まで11日もかかったのか
当時の灯台には常時通信設備がなかった。海が荒れれば船の往来は難しく、ルイス島から灯火を確認できない夜もあった。監視側では12月12日以降、灯火が見えない状況が続いていたが、天候の影響と区別しにくかった。
15日深夜ごろ、近くを通った汽船が灯火を確認できなかったという情報もあった。しかし、その知らせはすぐには灯台当局へ届かない。15日朝の勤務記録から26日の発見まで、約11日間の空白が生まれた。
西側の船着き場に残された異常な損傷


調査報告に記された鉄柵の損傷や散乱したロープをもとに、事故後の様子を想像して描いている
1901年1月8日付の調査報告で、ロバート・ミュアヘッドは西側の船着き場付近の損傷を詳しく記している。係留ロープを収めた箱は流され、ロープは散乱していた。鉄柵が曲がり、重い石が動かされ、高い場所に設置された救命浮輪も失われていたという。
大きな損傷が見つかったのは、灯台の建物内ではなく海辺の設備だった。ミュアヘッドは、3人が設備の確認や保護のために西側へ向かい、波に巻き込まれた可能性を考えた。






3人は巨大な波にさらわれたのか
ミュアヘッドが有力視したのは、船着き場に押し寄せた大波によって3人が海へさらわれたという事故説だった。西側の設備には激しい波の痕跡があり、屋外用の衣類も2人分が見当たらなかった。一方、マッカーサーの外套は灯台内に残っていた。
例えば、2人が先に海辺へ向かい、残る1人が助けに出たのかもしれない。ただし、これは現場の状況から考えられる一つの筋書きにすぎない。3人が一緒に外へ出たのか、別々に向かったのかを示す記録は残っていない。






公的な死亡記録でも、死因は「おそらく溺死」とされた。波による事故を示す手掛かりはある。それでも、3人が海に落ちた瞬間を見た人はいなかった。
恐怖の日誌や超常現象の噂は事実なのか
後世に広まった話のなかには、灯台守が嵐を恐れて泣き、日誌に神への祈りを書き残したというものもある。だが、灯台当局の調査報告や国立公文書館の解説からは、そうした記述を確認できない。
詩人ウィルフリッド・ウィルソン・ギブソンの『Flannan Isle』にも、倒れた椅子や手つかずの食事といった不気味な光景が登場する。こうした描写は事件の印象を強めたが、詩は現場の調査記録ではない。なお、国立公文書館は当該灯台の日誌原本を所蔵していないと説明している。
失踪した灯台守と残された家族
主任灯台守のデュカットには、妻と4人の子どもがいた。マーシャルには父親やきょうだいがおり、マッカーサーにも家族がいた。3人が帰らなかったことで、島の外にも大きな影響が残された。
国立公文書館には、遺族への給付や請求に関する文書が残る。灯台で何が起きたのか分からないまま、家族は生活を立て直さなければならなかった。
125年以上たっても残る謎
15日朝まで勤務が続いていたことを示す記録と、西側の船着き場に残された波の損傷。灯台当局はこれらを手掛かりに、3人が大波にさらわれて溺死した可能性が高いと判断した。
しかし、3人がなぜ外へ出たのか、誰が先に海辺へ向かったのかは記録に残っていない。灯台には仕事の痕跡があり、海辺には壊れた設備があった。その間に起きた出来事だけが、今も分からないままだ。
参考資料
[1] Northern Lighthouse Board「Flannan Isles」
[2] National Records of Scotland「The Flannan Islands Lighthouse: A disappearance」
[3] National Records of Scotland「Flannan Isles Lighthouse Keepers: The disappearance」









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